しかしなあ。
お役に立つということが出来ないでいますが、もういっそ、お役に立つことは一切諦めて、全くお役には立たない事柄を縷々綴っていくというのも一つの方向性かもと思うようになりました。
お役に立つと誰かが、具体的事実として、何かに助かったり、楽をしたり、得をしたりするものだと思いますが、私には向いてないかも。
口幅ったい言い方ではありますが、豊かさって、無用の物の中にあるような気もするんですよね。
また、豊かさって何かと考えると、物のあるなしに関わらず、心が積極的な感じで満たされていることかなあとも思ったりして。
なんというか受け身でない姿勢での満たされ方をしたいです。
これから二極化とか言われて、私は100パーセント貧困層に入るようになるので、お金と物にできるだけ頼らないでいくような方向性で豊かさを追求する必要があるのです。
まあカメラ買っちゃったけど。公開講座にもお金払っちゃったけど。交通費も払ったけど。
でもまだ何とかなっているうちに、ミニマムで心の豊かさを追求できる体制を整えておきたいです。
まずは本をセレクトしようかな。
一生よんでも飽きない本を何冊か用意するとか。
公開講座で良かったのは、自己流に読んでいた本をきちっと専門の先生が解説して考え方の歪みを正してくれたことです。
自然科学の本だったら、筋道がはっきりしているので、難しいけど、内容を一般のメディアで解説してくれたら何が書いてあるかとか発見されたかということは何となく想像がつくような気がします。あくまでも気ですが。
素粒子論なんてけむに巻かれてわかんないだろうけど。
でも私が選んだのは初歩の哲学で、これは、専門家の手引きはとてもありがたいです。
哲学の分野では、私は一人では何が正解かもわかりづらいです。
でもある程度理解する(?)と、普通の生活意識とはまた別の意識感覚を育てることが出来る気がします。
白昼夢を意識的に見てると言われればそうなのかもしれませんが。
自然科学の分野では定理がある程度あるというか、正解はなんとなく共通感覚として定まっているような感触を得ますが、哲学の分野は人の思考自体を問われるので、絶対無比な答えなどまず望めないのではと思われます。
でも、真実の、現実の、探求ではあるのですよ。まぎれもなく。
これは夢のような話ではないです。
本当にこの点は間違いないです。
虚空にポツンと投げ出されたような気にさせられますけどね。
それに多分、あんまり資源のいらない楽しみ方が哲学分野ではできるのではないかと。
食べ物手に入れて、住むところ手に入れて、着るもの手に入れて、できれば医療も介護もといきたいところですが、そうは問屋が卸さなくなるかもの状況。
AIは集積データとすれば、哲学は知識でなく、むしろ実践方法だと私は思っているので、AIから、完全に独立した精神構造を保つことが出来るのではないかと思っています。
多分ですが、哲学をやり始めると、AI壊れると思います。(専門家ではないからわかりませんが)
絵は描けるでしょう、小説も書けるでしょう。芸術分野は何とか形にするでしょう。
でも哲学は?
コンピューター自体、自然科学の思考方法によって存在しているので、おそらく無理なんじゃないでしょうか。
ま、私は無責任な素人で、しかも病人ですからね~。
こんなこと言っても責任の方は知ーらない。
と、いう訳で、哲学の勧めでした。お友達募集に近い?
これからお金の稼げない世の中。
金のかからない人間ならではの生き方を。。あ、無視?。。。