花とウォーキングシューズ

お花写真と俳句などです

無職だけどちょっと役立つ。。♪

なんとなく、働くか勉強するかしか真人間になれる道はないような気がしてきました。

で、家事以外では無理な私は写真に煮詰まっている間、少し勉強することにしました。

勉強といっても薬草のテキストを読んだり、高校生向けの 角川ソフィア文庫の「ブッダ伝」を丁寧に読むだけだけど。この本1/4読みました。

しかし どちらも妙齢の女性が手を出す印象のないものだなあとは思う。

うーん。自称万年 妙齢の私ですが、この点 ちょっと おぼつかなくなってきた。

でも面白い。

新しい知識に触れると、新しいレシピを試してみたくなったり、今までとは違った考え方を採用しようかどうしようかと、まともに検討できるのがいい。焦らずやります。

人間こうやって変わっていくのね。

およそ派手な 失敗ばかり重ねてきた 今までだけど、なんでこうなっちゃったのかとゆっくり 分析できるのもいい。

しかしまあ 自分の 等身大の姿を一度は人に晒して認めて?もらう経験で(いやこのブログ上でですが)、とても心が落ち着きました。

それまで落ち着こう 落ち着こうと思っても誰かに何かを訴えたい欲求がどうしても取れずに焦っていたみたいです。

自己中心的な世界観から抜けていなかった。

卵の中に居たままだったのね。

自己表現と他者の存在の正しい認識って人間の基本なんだなあ。

体でわかってなかった。

年齢的にすごい話。

いや今、分かっているんだろうか。。。

 

さて「ブッダ伝」で私なりに 分かったことをちょっと。

本によると ブッダは 森羅万象の真理というものを完璧に理解してしまったようです。

その上で人に教えたのはもっぱら苦しみの葬り方のようです。

真理の方は言葉で教えられるものではないらしい。

この世に作られたものは全て消えてなくなるもので(諸行無常)、

しかも 苦しみの元(一切皆苦)で、

実は次がわからないんだけど、全ての事柄は自分ではない(諸法非我)のだそうですが、

じゃあ 例えば私が写真に夢中になってる事って、ただ視覚というはかない感覚に耽溺してるだけって事なのかしら。それは花は散りますよ 。すぐ枯れちゃいます。でも一番美しい瞬間 に 酔っ払って写真撮る事ってとても贅沢な時間で、はっきり言ってうっとりするんですが、これってやっぱり 思考放棄の耽溺?

うーん。この本を読んでいると仏教にどうしても傾倒 してしまうような気がします。

それもいいんでしょう が職業にならない極端なことはやめたいです。

これから無職だけどちょっと役立つ普通の人というポジションを目指すんですから。

 今までの経験上 単なる趣味でも人間の活動として認られるものならば、共感してくれる人がどこかにいるみたいだから。

そういう人々がいるということで とても豊かな感情を持つことができます。

お互い様じゃないでしょうか。

 

最近 つくづく目立つ人より普通の人の誠実の大きさが分かってきた気がします。病人には真似できないですけど。一人一人普通の人が持ち場から逃げずに精一杯生きることで世の中成り立っているのね。

私の持ち場はここか?(^_^;)

 

暗がりを行き渡る水梅雨に入る

カシワバアジサイ 

まだ 梅雨入り前でした(^_^;))

 

まだまだ火曜日ですが、明日は天気になりそうです。

へいわをよぶぞう