おはようございます。ちょっと、この辺で、なぜ、私が畑、畑と繰り返しているか、理解に苦しむ方もいるかと思いますので、そのいきさつをご説明したいと思います。
話は1980年代になります。もうそのころから環境問題は強く訴えられていました。
人類に未来はない。という言葉を耳にすることも多かったです。
なんか私はそんな状態で、普通の会社に就職するのにとても抵抗がありました。また、会社における適正もなかったです。
かといって、何をするという気持ちでもなく荒れ果てた心でいました。
卒業後はバイト先を転々としたあげく、失恋して病気になって実家に帰って寝込み、それから今まで、寝たり起きたり入院したりで30年近い年月が経ちました。
その当時、治らないと言われ、病気になった時は自分の頭に墓石が打ち据えられたようで、ショックで立ち直れませんでした。
できることは、趣味のことだけ。両親に勧められた陶芸や、自分で決めた俳句などを必死になって続けていました。
あと、本を読むことができました。
際立った読書家ではないですけれど、古今東西の有名な小説はほとんど舐めてます。
そして、相変わらず人類の未来というものに暗澹とした気分でした。おこがましい話です。でも性格ですので勘弁してください。
「希望」という言葉を私に持ってきたのは木村秋則さんの本です。
読めば眉唾物の話が多く、でも本物だという人も多く、判断に迷うものですが、
農業にしか未来はないのではないかということには本当にそうかもしれないと思いました。
あと、ロシアのこれも眉唾物の話ですが、シベリアの奥地に住む女性の言葉(確か、アナスタシア物語?)で、
「この先戦争などの厳しい未来が待っているが、そのうち農業を主体とする穏やかな時代が来るだろう」というものがありました。
そこで、病状は相変わらず不安定ではあったのですが、時間だけはあるので4年ほど前から畑を借り始めました。
自分自身の手でわずかでも食料を作ることは大切な経験になるし、それに、まだ畑や農作物を育てることについて全く何も知らない人のために、参考になることがあるかもしれないと思ったからです。
私は文章を書くのが好きです。
畑の仕事はとても下手です。
その二つの点を生かして、先に畑仕事を少しでも経験しておけば、畑の下手な人の身になって文章が書けるのではないかと思ったのです。
おそらく将来は、ほとんどの人が農作業をすることになるのではないかと思っているせいです。
もちろん、自分自身を含めてです。
にしても、急に寒くなりましたね。
今日の俳句です。
身に沁むやカレーライスの支度せむ
秋寒しベランダの鉢取り入れる
肌寒し部屋着奥から探り出す
菊一つほぼ暗くなる空の色
遠き川の水音思ふ秋夜かな