最寄駅じゃないですが駅前イチョウ
とても大きいです。
さて。絵を描いたり、写真を撮ったりってどういうことなんだろうと素人なりに考えてみることにした。
どちらも上手でなくてもそれ相応に楽しむことが出来るのだが、なんで楽しいかってことかなあ。
表現の持つ性格ということに尽きるのかもしれないが、
普段ぼうっとしている心の中から、それまで意識していなかった何かが引き出さてれくる感じがするのだ。それが面白い。
自分でも思いがけない写真を撮ることが出来たり(下手でも)、絵では思いがけないアイディアが偶然湧いたり(稚拙でも)する。
写真と絵の面白さはちょっと違う。
写真は気持ちが乗っているときは本当に夢中になる。歩いていて、何かキラッとするものに気が付くと、バシャバシャ気の済むまでシャッターを押すだけなのだが、
なんかこうお花ならお花と完全に交流している感じがするのだ。
ファインダーを通して、一緒にダンスを踊っている気分になる。
踊り終わったら撮るのをやめる。
絵の方は、自分で意識を変えないといけない。
私はイラスト俳句を描いているので、先に俳句を考えてそれに絵を添わせているのだが、
俳句と絵はあまりぴったりイメージが重ならないようなものにしたいと思っている。
お互いが訴えるものをちょっとずらすと、より世界が膨らんで面白いかなと考えているのだ。
これは俳句の取り合わせを教えてもらったときに習った。
二物衝撃と言うそうだ。
違った二つのものをぶつけ合うことによって、新しい感覚を生むという。
哲学の言う弁証法にも若干似てるかな。
一つのものがあって、それに反対するものがあって、それがぶつかり合うことで、新しい何かが生まれるらしい。そうやってどんどん世界は進歩していくという考え方。
これは余談。
とにかく絵に向かって何を描こうかと紙の前に向かっているときは意識をちょっとふわっとさせる。
ふわっとさせて手が動くに任せる時もあるし、何かその辺の物を写すこともあるし、頭の中に思い浮かんだようなものを描こうとすることもある。
そうすると、うまく言えないけど、何かが描けるのだ。
結果はともかく、行き詰まらなければ楽しい。
出来上がったものは何だこりゃという物が多いけれど、なるべく心のどこかがスカッと晴れるまで何枚か描くようにしている。
そのスカッとした感覚が変わり映えのない日常には結構ありがたい。
写経をやってても同じかなと思うこともあるけど。
まあしかし、独り遊びがうまくなった。その上で他の人とも交流できるのだから、ありがたい話と思う。
写真や絵なんて素人はコミュニケーションツールだもの。
私の乏しい社会性、ちょっと変わったコミュニケーションだけど、家で発表できるのが本当に助かっている。
でも直に展示会で発表すると、見知らぬ人がしげしげと出したものを眺めてくれるのを見るのもとてもうれしい。私の心の何かが伝わっているのねという感じ。
昨日の展示会は障碍者の展示ということで市長さんが来たよ。
市長さんもあちこちにひっぱりだこで大変だなと思ったけど、ちゃんとしげしげと皆さんの物を公平に見てくれた。
それが仕事とはいえ、やっぱりうれしかった。
ちょっと恥ずかしいけど いろんなところで展示するのも悪くない。
あ。昨日騒いだ灯油ですが、おかげさまで手に入りました。 運んでくれました。これで暖かく過ごせます。皆様ありがとうございます。
冬空の青の永遠日ごとにす
(モノタロウで買った 特売の筆はちょっと先が効かないです〜)