弁財天とは インド神話から来た女神様。七福神の一人です。普通、琵琶を持つそのお姿は、たおやかで麗しく、音楽、弁舌、財福、 知恵の神とされています。 もともと河川の女神様でしたので生業に水を使う農民に、篤く信仰されていました。
水に縁のあるところに祀られています。
日本最古の弁財天の像は奈良の東大寺にあり、
日本三大弁財天 といえば安芸の宮島、近江の竹生島、相模の江の島の弁財天だそうですが、
ここ船橋でも海老川のほとりに限らず小さなものをあちらこちらで見かけます。
今日は足がだいぶ治ったので、地図を見てまだ行ったことのない弁財天巡りをしてみました。今はほぼ住宅がぎっしりですが、もとは農村地帯のところです。
まず駅を降り、開発の手が行き届いていない南側へ入ります。坂を下ると、ゆるぎ地蔵という史跡の側の窪地に
丸木を渡した弁財天の祠。
すごい湿地でズブズブと足元が定まりません。が、なんとか手を合わせました。弁財天って結構不遇 かも。
次に古くからの農家を横目に昼なお暗い旧道を通り、なんだかすごみのあるマムシの出そうな草ぼうぼうの公園(もしかすると立ち入ることを嫌がられる場所だったかもしれません)
に怖る怖る寄ったものの怖くなって奥まで入らず、出て左手の道を登りました。古いお寺です。このあたりを檀家とするお寺なんでしょう。
そこの戦没者記念碑に頭を下げると、さらにうろうろして確かもう一つの弁財天がこの辺りにあると地図に載っているので、これかと
階段を登ったら、
墓地でした。墓地って明るいところにあるのね。
その下に降りると道路脇に小さな弁財天が。一礼します。
さらに てくてく歩くと
神社発見。大宮神社。古そうです。
このように小さいですがなかなか立派な作りで神楽殿もありました。
さらにずーっと歩くと
坂を下った所にまた神社。八幡様のようです。別の坂を登ったところに神社本殿があり、目指す弁財天は低地です。右の小さな鳥居の奥。
乾いた池の真ん中によく手入れされた祠。出世弁財天とか。
やはり手をあわせます。
近くの公園にはまだ色褪せぬアジサイが。
さらに成田街道を歩き、奥に入って、坂を下ると
なかなか素敵な公園が。横に川が埋められたような跡があります。
近くに池がありました。亀が顔をのぞかせ、トンボが行き交い羽を輝かせています。
傍らに
弁財天の祠。お参りします。ああよく歩いた。
今日はあと一つ回りたかったですが足に限界を覚え、池の端でトンボと遊んですっきりしたのでここまでにして、
空の広い畑を横目に駅に向かいました。キバナコスモスや、オクラの大きな花がいくつも咲いていました。
弁財天のあるところはやはり土地の低い水辺でした。いろいろ歩くとお供え物の花やお酒に昔の暮らしの名残りが感じられる気がしました。でも古い農村の暮らしは、したたかに厳しいことが想像するに余りありました。
ついでに。インドでは 弁財天は サラスヴァティー という名前だそうです。おそらく そのままじゃ発音が違ってインドの人には通じないと思いますが。
武骨なる旧道の人秋日和
スタートは飯山満駅です。