若いころ、一人でヨーロッパをくるっと小さく一か月で回ったことがあります。
ユースホステルや安宿に泊まったりのはやりのバックパッカーをやりました。
なぜヨーロッパにしたかは、トイレがきれいそうだったから。
これだけは譲れませんので。
ベルリンの壁が壊れるちょっと前だったという大昔の話です。
イギリス、ベルギー、フランス、スペイン、イタリア、オーストリアとガチャガチャ列車で駆け抜け、ウィーンから夜行バスで入った夜中のチェコは、当時共産主義国だったせいか、治安は異様なほど良くて、暗くて、しんとしてて、清潔で、厳しかった。
11月だったし。
ブルノーという街に一泊、プラハのホテルと駅で2泊の3泊4日しか滞在しませんでしたが、とても美しい印象を抱きました。
公務員の方々を除けば、人々の心も優しく、言葉はほぼ通じないながらも親切にしてくださいました。
あの時、アジア系の人間は、プラハ近郊のユースホステルでベトナム人のすごいエリート学生が居たのを見ただけでした。
何が凄いって知性と人間性の透徹さ。
あんな人はいまだかつてあったことはありません。
恐ろしいばかりに研ぎ澄まされていました。
気持ちの良い笑顔を向けてくださいましたが。オーラが。。。
長い戦争を潜り抜けた人だなあと思いましたよ。
話がそれました。
ブルノーはこじんまりした田舎町でした。
本屋さんがあって、そこが一番人々の憩う中心地になっていた気がします。
共産主義の許すような本と無難な絵本しか置いていなかった記憶がありますが、
店の外にガラス張りの壁があって、そこで何枚も質素な銅版画を販売していました。
その中に二枚の翅を安全ピンで留められた小さな蝶の絵の版画があったのです。
びりっと来て、これ持っていったら悪いかなあと思いつつ、他の絵も混ぜて買いました。
案の定店員さんはやはり一瞬とても痛ましい顔をしましたが、外国人なら仕方ないやと売ってくれました。
(その絵はあとで、返還しました)
なんで悪かったかを説明すると、明らかに自由に物の言えない人々の心の内が訴えられていたからです。
ただ、ひらひら飛ぶだけで魂のない蝶々。子供時代だけが大切な記憶という感じの絵でした。
また、街はずれの城跡にも行ったのですが、そこは本当に怖い所で、人が居なかったせいもありますが、ここで、何が行われてきたかを想像すると、ぞくぞく怖いんじゃなくて、ビシビシ体をうたれるほど怖かったです。歯の根があわなかったです。
で、プラハに入ったら、街の美しさにびっくりしました。美術館の中で人々は暮らしているようなものでした。そもそも建物に絵が描いてあるのです。
プルタバ河にかかるカレル橋やいろいろな橋のたもとに行くと、水面を白鳥のような白い鳥が青白い霧の中を幾羽も舞っていて、どこへ行っても規模の大きすぎる舞台のようでした。
その中に私も店で買ったしなびたリンゴなどかじりつつ滞在しているわけですから、寒いけれど、美しくて美しくて夢の中を歩いている気持ちがしました。
何しろ共産主義国家でしたので、雰囲気が悲劇的なのが伝わってくるのです。
さらに、仕掛け時計台の下で売っていたソフトクリームの軽くて冷たくてすぐなくなってしまうこと。ほんとうに夢のような軽さと哀しさでした。
あと、まったく治安には安心できたので、夜暗くなってからも歩きましたが、途中でお腹がすいたので、パブに入ったら、食べ物は用意がなくて、ビールだけ出してくれました。
ほんとうに男性の労働者の人々が四角い木のテーブルを囲んでおつまみなしでビールだけ飲んでいました。
ビールはとても美味しかったですが、やはり禁欲的過ぎる気がしました。
後、お店の公務員の人は横暴でしたが、兵隊の人は優しかったですね。なんでかな。
と、言うことで、印象が強烈だったので、チェコが好きなんですよ。
音楽も文学も絵画も馴染みやすいし。
でもまあ昔の話ですが。今は楽になって大幅に変わっているだろうなあ。
これからまた厳しくなるかもだけど、もう自由がなくなることはないと思います。