花とウォーキングシューズ

お花写真と俳句などです

芸術っぽい小説とゲームについて思うこと。


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おはようございます。

この間怒ったことについて釈明をまとめました。

 小説を芸術と言えるかどうかと問われると、いろいろな意見があると思いますが、今は特に質が良いとされるあらゆるジャンルの小説を芸術作品としてとらえたいと思います。考えるとわけがわからなくなるので、素人ですし、こんな姿勢でもご容赦してください。

コンピューターゲームについては、私は、正直なところ目が悪くてモニターに向かえず、また、はまり込むと、おそらく死ぬまでやりかねないタイプなので、全くやってないです。

中学生くらいだったと思います。インベーダーゲームが流行ったの。

それから、ゲームは大変な発展を遂げていると思います。

ゲームはいろいろな人の手によってつくられているはずです。私にはよくわからないのですが、ストーリーを考える人、それを動く形にする人、デザイン、音楽。。第一号のひな型であっても、たくさんの人々の手になるはずです。

その世界はすでにおそらく暖かい豊かなものを感じ取れるものになっているはずです。

たくさんの人がかかわっていると、いずれ何事もそうなっていくものだと思うからです。

文化的と言える域になっているのかもしれないです。

商売上の目的のことはここでは触れません。

 

一方、絵画芸術や、私が理解している範囲での芸術的な小説は、あくまで個人の手になるものです。

そこには確かに愛は存在するのですが、特に前衛的な小説には暖かく感じられるものは少ないような気がします。

むしろ厳しく痩せていて、接すると殺伐とするものが多いと思われます。

そういった小説は、私は思考と精神を使ったサーカスのオリジナルな技のようなものに近いと考えています。現実世界に対する戦いという人もいます。

独創的な小説を書くのは本当に厳しいことです。

私も病気で暇で、お金が欲しいし、人に認められたいし、ひとかどの物を作りたくて、才能はないけれど、あらゆる可能性を試しましたから、もちろんいろんなジャンルの作品制作を試みたことがあります。

起承転結のはっきりした小説は、私でも本当にがんばれば一作ほどは、原稿用紙50枚くらいは書くことができました。

ただ、独創的な小説は更に七転八倒して10枚足らずでした。

セオリー、方法、を編み出さなければいけない世界なんです。

全くの自由、つまり何していいかわからない世界なんです。

ワープロに向かってできることは、自分の乏しい、頭の中だけのものを含めた「経験」の中からなにかを引き出し、組み直して作品世界を作るしかないような感じでした。

自分だけの力と方法で。

芸術ってそんなものだと思うんです。

現実世界の中で一人だけで、創造と向き合うものなんです。

 

それを理解してくれないと、小説の価値は分かってもらえないような気がします。

ただ、楽しむものでもありますが、それ以上に作り手の立場からは、孤立してなお世間に訴えうる新しい価値を作ることだと思うのです。

芸術活動は人間の尊厳の一つの形。

その確証が作品であると私は思っています。

 

ですから、機械、AIが作りうるとなったら、本当に怒っちゃうわけなんです。

機械に尊厳が存在したらいけないと思うんですよ。

どうぞご理解ください。

この点、どうしても大人になれないです。