普段使わぬ頭を使いすぎ。畑へ行ってもすぐダウン。
私の文章も私にはわからないけれど、おかしなところがたくさんあるんだろうなあ。
ゲームのことよく知らないのに書くとか。
機械のことよく知らないのに反発するとか。
情報が少ない人は物事の判断を誤りやすいと思います。
私は社会に出ていないし、テレビもあまり見ないし、もう本もあまり読まないし、大変な井の中の蛙だと思います。
多分農作業はいずれたくさんの人がすることになるだろうとは思うけれど、いつの日のことかなんて、全くわからないし。
他に生きがいがなくてこうなってしまった私のライフスタイルです。
そんなんでAIに対する文章書くなって感じかもしれませんが。
でもやっぱり、機械が小説書くと聞くと、ひどく腹が立つのです。
将棋や囲碁やってた人も最初は怒ったのかもなあ。とも思います。
人によって聖域ってあると思いました。
どんなものであれ愛好するものの神聖を侵されると頭に来るのは理屈ではないのかもしれません。
だって、芸術だよ~。
芸術もひどく愛好しているのです。
効率と無縁な遊びの分野だとも思うし。
人が作るものでなければ芸術じゃないです。
百歩譲っても、その点は譲れないですね。
有能な機械が作るものは、人の心の機微のポイントをついた面白いもなのかもしれません。
でもそれ読んで、幸せな感情はとても抱けないです。
生き物と違って、機械って脆いって聞きます。
おそらくAIもどこかに脆さがあると思います。
古くなるとどこかにひずみが出るはず。
使いこなすのは良いけど、信頼を寄せる相手じゃないです。
人という生物のしたたかさは、AIをはるかに凌駕すると私は思っています。
そもそも集積データでしょう。
そこに本物の意思=愛はないです。
と、いうわけで、(何がというわけでか自分でもよくわかりませんが)
AIには芸術分野には本当に手を出さないでもらいたいのでした。
さて、草抜きをして、カボチャの残渣を穴掘って埋めないとですが。あと四分の三残ってます。
それに、キャベツを家でポットに種蒔いていたのですが、ベランダに少し放置していたら、多分青虫に食べられてしまったみたいで、まるはだかの全滅。
二階でも青虫来るんです。
蝶が来たらうっとりしたあと、どこかに卵がないか警戒しなきゃいけなかったようです。
キャベツはあきらめるとして、タマネギは11月初頭にホームセンターの安売りを狙わないと地面が埋まりません。
あれこれやることがいっぱいあるんですが、それに加えて、家族が大きな栗を買ってきて、
「渋皮煮を作ろう」と言い出し、鬼皮剥きに呼ばれました。
四回も渋抜きのために煮るんです。
私はやりませんでしたが、そのあとまだ甘皮を薄く剝く。
栗ご飯でもいいじゃないと思うのですが。
美味しいですけれど。秋って忙しい。
待針の時に指差す夜長かな
ひたすらに栗剥く刃先夕明かり
まだ割れぬ柘榴転がす掌
栗渋皮赤い泡吹く鍋の際
夕刻の鐘に流しを明け渡す