先だって野島崎灯台に行った帰り、土産物屋の店先で「ご自由にどうぞ」と札があったので、籠の中からサザエの貝殻を二個貰って来た。
てのひらに余るほど大きな貝殻だ。
穴に土を入れて、植物を植えようか、それともこのまま飾って眺めて楽しむか
と手元に置いて、思案投げ首。
貝殻と言えば、学生時代の先輩が素敵な詩を作ったなあと思いだす。
「貝殻は音楽。記憶という海の底からそっと引き上げられる」
といったような詩だった。
そういえば、
「私の耳は貝の耳 海の響きを懐かしむ・・」というコクトーだったかの詩もあったけどこっちはうまく思い出せない。
どちらにしろ、貝殻は何の意味も無く存在するようでいて、やはり何かとても大切な記憶の形。
見ていると、いろんなことが思い出される。
具体的には思い出されなくても、思い出しているような気になってくる。
さざえなんて、庶民的過ぎて、なんだかぬかみそ臭い印象が付いて回って、貝殻の内には入らないのかもしれないのだが、
サザエだと思わず、名前の無い貝殻として見ると、豪華な感じすらする。
その形、ごつごつした質感、ほんとうに素敵なオブジェだなと思う。
この形に纏わる記憶は豪華なものにしてしまおう。
実際はそのうち始末に困るかもしれない。
でも、手元に置いておくと、一人で行った野島崎灯台や荒波、小さな花のことをやっぱり思い出すかな。いろんなそのほかのことも。
貝殻を二つ並べて鰯雲