―「グリフィンの祈り」(Griffin)―
大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに
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鈴木秀子の本に紹介されていた言葉です。
謙虚のかけらもなく、すぐ得意になってしまう私ですが、この先、
本当に謙虚さが必要な感じです。
人並みのことができないという自分と折り合いをつけるのはとても大変です。
生きることを諦めたくない。
諦めたら、自分の中の輝きが失われてしまうような思いに囚われます。
十分に生きたいです。まだ生きたような感じがしないです。
人には個性があるのだから、それぞれの持ち分で生きるしかないのでしょうが、
自分の持ち分を安全範囲に限ってしまうことに耐えがたい思いです。
でもリスクを冒すと迷惑と心配をかけてしまう。
一人で、出来ることを積み重ねるしかないかな。という感じですが、(ここで騒いでますが)まずできることはカメラのレンズ買えよということかもです。
私に限らず、人生に消化不良おこしている人はたくさんいます。
苦しいときばかりでもないし、嬉しいときも多かったのですが、悲しいという感じは嫌ですね。
悲しい顔だけはしたくないです。
いつか、
「心の中の言い表せない祈りは全てかなえられた」
という心境になれるかどうか。
自分と世界を心底承認できるかどうか。
存在の価値、命の価値が本当に理解できるのかどうか。
これが課題だと思います。