花とウォーキングシューズ

お花写真と俳句などです

☆オラクルカードについて思うこと。

ラクルカード。好きなんです。カードを繰って一枚引く。表を返して現れた言葉と、現実世界をおそらく紐づけて考えてはいけないのでしょう。

あてずっぽうで、偶然の産物です。

何の根拠もありません。

よしんば誰かに超能力があったとしても、超能力に根拠なんか存在しえないんですから裏打ちのない言葉です。

 

でも、なぜか、今のところやめられないです。

ロジック、論理で成り立っている世界にふらっと、風が通る気がするのです。

自由と言ったらいいか、無責任と言ったらいいか。

そして心が浮き立つのです。

 

ラクルカードの言葉に、惑わされてはいけないと思います。

そんなものに本気で囚われたら、足をすくわれると思います。

実際、5日ほど毎日カードを引いて、その言葉を念頭に置いて生活したら、

少し普段とは違う行動をとりました。

若干アグレッシブというか。

ちょっと生活が激しくなりました。

人と会うことになったり、片付けものが進んだり。

 

どこか生活に刺激が足りないと思っている人には好まれるかもしれません。

でも、慎重に自分の生活を吟味している人に必要はないでしょう。

偶然に与えられた言葉は、自分から生み出された言葉ではないからです。

そういう人にとっては、カードの言葉は害悪です。

言葉は力があるし、多少でも意識を揺さぶられるからです。

 

自分が確立していない人、何か自分ひとりの力では進みたくとも物事がはかどらない私のような人間には、カードによって、少し意識をかく乱することが、停滞した思考に活力を与えるために役立つような気がするのです。

少し普段と違った行動をとり、その結末を自己の責任として処理すること、

 

要は経験の種かもしれません。

カードの言葉に飲み込まれないようにして、吟味していろいろな小さなことを選択して生活を送ることで、ちょっとした経験を積むことができるような気もするのです。

普段気を回さない視点から生活を見ることで、意識をちょっと広げ、それでも自分の主体性を放棄しないよう意志を鍛えるのにいい感じがします。

 

他の本を読めばという感じもしますが、他人のストーリーに従って、それを

指針とすることには私はひどく抵抗があります。あまのじゃくなんですね。

 

 

ごちゃごちゃと言いましたが、さすがに俳句と一緒にアップするのは乱暴だったと思っています。

一日に三本別記事アップということになってしまうかもしれませんが、なんとか区別がつくようにしますので、写真メインと、俳句メインと、オラクルカード、しばらくやらせて下さいませ。

そもそもオラクルカードをなぜアップしてしまうかというと、気持ちの上でお酒を飲むような社交がしたいからですね。景気づけもまた良いのでは。