休む休むとか言っておきながら、好きなことはついついやらずにはおれない性分なのでした。所詮無職の身の上、やり過ごすには工夫に困る時間ばかりがあるのです。
牡丹はすっかり開いて散りはじめました。雨風の恐れがあります。これ以上のダメージを与える訳にはいきません。ためらう家族を説得し、緊急にハサミを入れ、転がっていた花瓶に水をくんで挿して、居間に避難させました。
そうっと手を触れると、ガサッと音を立て、ガラス面のテーブルに花びらが一塊り落ちてゆきます。現れたのが、中華スープを飲むときついてくるチリレンゲのような花びら。大きさといい、形といい、ため息が出るほどそっくりです。
思わずその上にピンクや黄色の愛らしい金平糖を乗せたくなりました。でも実現したのは下の通り。
手近にあって美しく映えるものはこのようなものしかありませんでした。
現し世の少し辛きを散る牡丹
下は遺影。ご覧の通り、花は、雄々しく白いライオンのような面影だったのです。あの姿をもう一日でも長く留め置きたい思いでした。
在りし日の豪奢を思ふ牡丹の忌
しかしずっと泣いてばかりいてはいられません。春もたけなわ。他の花はどんどん咲いてゆきます。粗製乱造ではありますが、前進してゆきましょう。次は深藪のような庭で一枚。
咲くものの息吹に縮む蝸牛
今日は雨上がりの好天でした。外に出ればことのほか、牡丹のことを忘れ去って、気持ちよく散歩をすることができました。下の写真、おなじみのアリさんがいますね。街中の花壇に咲いていたツルウツボです。海の暴れん坊、ウツボの名の通り、なかなか獰猛な姿かたちをしています。
春泥の海の底より這い来たる
さらに白いアイリスが空っぽのお腹を見せています。
空腹を抱えているか春の昼
人知れず、このようになり果てた私の人生です。たとえ彼の地で戦争が起こってしまっていても、あらゆる可能性を潰した現在、仕事はおろか、全てのご奉仕は務まり得ない状態なのです。実に、恥ずかしさの極みではありますが、遊ぶことしか能がなくなりました。恐れ多いこととはいえ、こうなってしまったからには、もはや必死の思いで遊ぶ覚悟です。人の運命とは数奇なもの。また他の彼の地では、命がけで踊らねばならない定めの方々もたくさん居られるのですから。
ひとすくい春の苦みをちりれんげ